2025-01-31Entry

感想文が多くなる理由

最近感想文多くないですか。

人の文章を見て感じること

結構よく感じるのは「それはそう」なんですよね。いや説明するまでもなくそれはそうじゃんという。もしくは「なんか見たことある」とかも似てますね。

愚直に考えればその文章が至極当然のことしか書いていないから「それはそう」と思うわけですよね。至極当然のことを長い文章にするのは良い文章を書いている風に無意味なので忌避感があります。

(もちろん一般的な話題にスコープは絞ります。日記のような個人的な体験はその限りでないですから。)

逆に自分がカスい可能性

でもこれにはトラップがあって、その文章が理路整然としていて巧みだからその論理を即時に自分の中にインストールされてしまっているという可能性もあるわけです。「思っていることを言語化してくれた」と言ってるのって単に理解してないだけじゃないですか?というのと同じです。 相手の論理と文章力が見事なので「それはそう」と思わされている可能性です。

そもそも自分が理解できる文章しか読んでいない可能性も高いです。全然知らない分野の専門ブログとか目に入らないですしね。目に入っても目が滑るので内容に対して感情を抱くこともありません。

だから厨二をこじらせてカッコつけてるわけではないんです。自分の向上心の低さもあいまって「それはそう」になりがちなんですよね。同じような本だけ読んでると同じような記述に何回も出会うのことありますよね。それです。おんなじような文章しか読んでいないとそうなります。

じゃあどうすんの

無様さらしてけってことです。

当たり前みてーなことを書いていく必要があるんんじゃネーノって思うわけです。書いた結果「それはそう」「それは違うよ」などと思われると損失なんですが、書かないのも機会損失だなと思いまして。元々脳内メモリを解放するために書いてるわけですし。

本当は厨二なのでは

いや本当は厨二なのではないですかね。

架空のフレンド「いや~Zuu-sanは厨二だと思いますよ」

心のどこかで自分のことを厨二だと思っている人間は、厨二を指摘されると死にます。

結局自意識

駄文を書いて「駄文だな~」と思われるのが嫌という話に全部帰結します。

「いやそんなこと誰も気にしてないですよ」と「Zuu-sanの文はカスや……」のどっちを言われると思います?どっちにしろ嫌ですよね(誤った二分法)。

じゃあもう根源的に自分の文章に自信を持つしかないと思います。自分で「カスやな~~~」って思っても世に出すんですね。

自意識の話すな

いやいやいや、自意識トークやめてもらっていいですか。

「私はこう思っているのでこうしてます」に対する評価は低いです。「私はカスい文章を出すのがカスい行為だと思っているのでブログを書きません」と発言すること自体が結構カスいです。

自意識、もしくはアイデンティティが介在する話をするのは結構バッドだと思ってます。自意識って公理みたいなもんだと思います。そう思ってるならそうじゃんねということですね。

自意識無限ループに陥ったので異常終了しました。

押せっ……!

自分でツッコんでれば許されるわけじゃないんですよ。自虐でも否定的な文章ってあんまし気分良くないですから(このセクションは自家撞着しています)。

カイジが人間競馬で謝りながら他人を突き落としている人間に毒づいていたじゃないですか。ずっとそれなんですよね。「俺は謝らないっ……!」か「俺は押さないっ……!」したいんですがもうずっと謝りながらブログ書いてます。

脊椎で分かるように経験を積みたいね

的外れなことを大真面目に言って一回呆れられたいですね。嘘。本当は呆れられたくないです。自分で気づいたという体裁にしたいです。

そういう学習の果てに社会適合があるんじゃないですかね。そういう失敗をいつからか避けるようになったから負のループに陥ってるんじゃないですかと。 じゃあ失敗すればいいじゃないですかと思うんですが、今の人間関係は恵まれ過ぎましたね。心から失敗したくないなと思います。