嬉しいことを報告します
私のフレンドさんがzuu-san.netを見てkonototo.netを作られたということです。
うれしい1
「自分もやりたい」と思っていただけることほど嬉しいことはないなと思います。この嬉しさを感じたのはいつぶりでしょうか。文化祭ぶりですね。
あの頃はとある同好会に所属して文化祭でゲームを売っていました。今思うとあのゲームは変なオタクノリと稚拙な作りで恥ずかしく感じるものです。 それでも親子連れには結構人気で、試遊台を設置していると子供がプレイしてくれて、1個300だか500円だかで売ってたゲームディスクを親御さんは快く買ってくれるんですね。
所属していた同好会が販売していた小冊子に、そのゲームの製作記を寄稿していました。そうすると、その製作記を読んだ子供の親御さんが、「どうやったらこのゲームエンジンをダウンロードできるか」というのを聞いてくださったんですね(確かわざわざ買った後戻ってきて)。 それが一番嬉しいことでした。提供しているモノ(ここではゲームそのもの)の奥に興味を持ってもらえれるというのは、なかなかないことなんですよね。あ、仕事はお金をもらえる代わりにこのような喜びはありません。 仕事は競合に早く追いつけ追い越せの比較のオンパレードであり、僕が作らなければ誰かが作るし競合が作るし苦しみの世界です。 急に悪い話すんなよって感じるかもしれませんけれども、これは自己満足に閉じていた頃と仕事でニヒルになっている頃の間にあった唯一の救いであったわけです。
今回のことはそれに並び立つ嬉しさだなと感じているわけです。しかもZuu-san.netを支える技術のアーキを参考にしてもらっているというのも相まってですね。
うれしい2
個人サイトっていうのは歓びです。それも素朴で原始的な。
その歓びが何なのかと言いますと、Youtubeでの配信と同じようなものかなと思います。最近はYoutubeでVTuberごっこのゲーム配信をしているのですが、そこで感じているのと同じなのですよね。
多くの観客は必要ありません。ただ自分が主役の場があるというだけで、一種の救いだと思うわけです。そう「Broadcast Yourself Yeah」で「主役は君なのさ」ってことです。
(もちろん現代Youtuber達がそんな牧歌的な世界で生きていないことは百も承知です。再生が回らない配信をして自分で見返しているので、おすすめとして同じような配信が流れてきます。その中には同じように素朴な歓びのための配信をしている人が結構いるんじゃないかなと思っています。)
SEIKIN趣味で話が逸れましたね。zuu-san.netは完全に自分のための空間であり、傲慢にも主役がzuu-sanだってことです。そしてそれが当たり前で誰に咎められるでもなく誰と並べられるわけでもないzuu-sanだけの空間なんです。
こいつは復古主義じゃない
これは個人サイト全盛の再現ではないです。00年代に対するエモがりでもないです。
家です。ただの。
サーバーレスなサービスと現代ライブラリとVibe Codingの産物であって、あの頃の何かにあこがれているわけでもありません。
初期のzuu-san.netはむしろFakeだったかもしれない
初期のzuu-san.netは超簡素なHTML手打ちサイトです。それもHTMLの入門書の冒頭20ページで作れそうなくらいの素朴なページです。
あの時代は何だったのかというと、アナーキーさへの憧れと工数ケチりの産物です。あの時代が好きと言ってくださる方も結構います。しかしここはzuu-sanの精神世界なのでzuu-sanの精神を反映します。
アレはアナーキーITエンジニアしぐさの真似です。テックアナーキーみたいな人はカッコイイですから。WWW原理主義(造語)で、Webの装飾とベンダーロックインとEvilな企業が嫌いで、ソフトはGPLで公開してFirefoxのフォークを使っていて分散SNSで意味不明なつぶやきばかりしているあの人たちのことです。
もっと昔はアナーキーっぽさに惹かれて、MastodonでもMisskeyでもなくPleromaのサーバーを立てていました。しかし自分はあっち側じゃないなと気づきますね。別にアナーキーな態度を取れるほど技術も好きじゃなかったんでしょうね。逆に僕はベンダーロックインされるのが好きで、権威が作り出した物語の上に乗っかるのが大好きだということです。
それが自分の根幹だと気づいたんですね。アバター改変しないのもそれです。作者が作った物語の上に乗っかっていたいのです。ブラウザはEdgeを使います。Windowsを使っている以上、Microsoftのエコシステムと一体化したいからです。モダニズムが好きです。物語が大きいからです。
権威にライドするのは弱っちい人間のすることです。でもそれでいいです。ここはzuu-sanの精神世界なので。
だからこそ、もう無装飾はやめてます。無装飾が好きなのではなく、無装飾を貫く物語に乗っかるのが好きなんです。だからその精神表すのには無装飾である必要はないんです。そういう精神を、恥ずかしげもなく世に晒せるようになったことが精神の成長だったわけです。
初期のzuu-san.netからリニューアルしたときに、zuu-san.netは初めて自分のものになったのです。そのおかげで、現在純粋に素朴な嬉しさというのを享受できているのです。
なぜドメインがあるのか
これは僕のものですってずっと言ってるに過ぎないですよね。この記事は。
自分のためですって言って何になるんですかって。自己消費するだけならlocalhostに立ててなって。
自分が完全に主役なのかっていうと、そうでもないんでしょうね。演者は観客がいて成立しますから。自己完結に陥りたくはないですね。じゃあそういう考えがどう影響するのかって言いますと、まだわかりませんね。それを固める必要もまだありません。
See you next time